人生漂流

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熊本城へ行く

9月2日、久住山に登ろうと久住高原の長者原に行きましたが、ちょうど台風12号の接近で風雨強く、ホテルの人からも明日の登山はやめる方がいいと忠告されました。

翌日、やはり雨とガスでとても山には登れそうもなく、あきらめて西に行けば雨は降っていないだろうと熊本市に出て、熊本城を訪ねました。熊本城は名古屋城、姫路城(姫路城の代わりに大阪城を挙げる人もいるが)と並んで日本の3名城といわれ、平成20年に本丸御殿を復元して人気が高まっています。

城内に3個所ある駐車場はすべて満杯のため、市街地の駐車場に車を置いて、歩きました。
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天守閣と小天守閣の中はかなりの人でした。一番人気は再建された本丸御殿大広間です。
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ふすま絵や天井絵は実にきらびやかで、一見の価値があります。
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熊本城が他の城と違うと感じたのは堅固な石垣です。国内でもっとも近年に城が戦場になったのは熊本城ですが、それは西南戦争のときです。鹿児島を出立した西郷軍はまず熊本城を陥落して、そこを起点に東上しようとしました。当時、もっとも勇猛といわれた14,000人の薩摩軍が、谷干城を司令官とする4,000人の官軍が立て籠もる熊本城に猛攻撃をかけても、城はびくともせず、結局、西郷軍は熊本城をあきらめました。熊本の北にある田原坂の決戦で敗れて、宮崎へと敗走の一途をたどります。
 司馬遼太郎は「翔ぶがごとく」で面白いことを言っています。"ながい日本の歴史のなかで、一人の人間が、地元のあらゆる階層から神人的な個人崇拝をうけたという例は、加藤清正と西郷隆盛以外にはちょっと考えられない。” 司馬は、熊本城の堅牢さについて、加藤清正の設計で独特の石垣構造を作り上げたこと、弾丸に身をさらすことなく城内を走り回れる構造にしたこと、城内に井戸を120個所掘ったことなどを挙げています。たしかに、ほぼ垂直に高くそびえる石垣を攻めるのは相当な困難であろうと思われます。清正のアイデアが生きたのが彼が築城して280年後の西南戦争のときでした。司馬は、清正は籠城することを考えて築城したが、「幸い、この城は戦いに巻き込まれることはなかった。いまその戦いの運命が、肥南の方からやってくるのである。清正は、なおこの城のすみずみにまで生きている。いわば、清正と西郷が戦うようなものであった。」と書いています。
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 話は変わりますが、私が一番好きな城(城趾)は大分県竹田市にある岡城趾です。滝廉太郎の荒城の月はここの城のイメージをうたったものですが、ここは建物はすべて崩壊し、石垣が残るだけで滅ぶがままにされています。コンクリートで建て替えた城よりも、こういう城跡を歩く方がはるかに「昔の光今いづこ」と偲ぶことができます。 (写真はWikipediaより)
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(2011.9.8)
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by tochimembow | 2011-09-08 00:01 | 日本の自然
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定年退職後、リフレッシュのためニュージーランドを半年間漂流しているうちクライストチャーチ大地震に遭遇。日本に戻ったら、またしても働くことに。 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず(芭蕉)


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