人生漂流

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カテゴリ:読後感( 4 )

NEXT マイケル・クライトンの最後の警告

マイケル・クライトンは2008年にがんで亡くなったが、彼の遺作となったのがNEXTである(彼のコンピューターには次の作品が残っていたが)。1990年に発表した有名なジュラシック・パークでは琥珀の中に閉じ込められた蚊の血液から恐竜のDNAを取りだし、それから恐竜のクローンを作り出すという当時では仰天するようなアイデアのストーリーを創り上げ、映画にもなって大ヒットした。今では、これは実現可能なこととなっている。

NEXTはジュラシック・パークと同じ系列に属し、ハーバード大学医学部卒業という経歴を持つクライトンのもっとも得意とするジャンルである。遺伝子操作によって人と変わらない知能を持ち、人と全く同じようにしゃべるオウムやチンパンジーが登場する。また麻薬依存症を治したり、アルツハイマー病にしたりと人の性格をも変えている。それらの話はまだSF的な要素があるが、トランスジェニック(遺伝子改変)技術がいかに驚嘆すべきものであるかが分かる。リアルなのは遺伝子特許を利用して巨大なビジネスを興したり、特殊な遺伝子(この物語では抗がん作用を持つサイトカインを大量に作り出す細胞)を持った人間の臓器や細胞を大学や企業が所有し、個人の自由が認められなくなるというエピソードである。

遺伝子特許というのは、ある特定の遺伝子を見つけると、そのDNA配列の特許が認められ、それらの病気の研究、薬の開発などにその遺伝子を使うには特許料を発見者に支払わなければならなくなることである。たとえば乳がんを起こしやすい遺伝子の塩基配列をある研究者が発見して、その配列についての特許を取ると、他の研究者がそのDNAを使って乳がんの研究を実施するには、特許料を払わなければならない。また抗がん作用を持つサイトカインを大量に作る細胞を持った人が、企業や大学と契約書を交わすとその人の臓器や細胞は特定の企業や大学の所有物となって、売買の対象となる。患者が手術で摘出した臓器が貴重な生産工場ともなるのである。こういう事態は現実に起こっていることで、今や大学が分子生物学研究の成果を利用して莫大な収益を上げる時代になりつつある。基礎研究から収益が上がる医薬品開発などに結びつける研究はトランスレーショナルリサーチと呼ばれ、文部科学省はトランスレーショナルリサーチを盛んに奨励している。本書ではUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)が遺伝子特許で巨大な富を獲得することが描かれている。

クライトンはこういう傾向に対して強い警戒感を示し、本書のあとがきで遺伝子特許の取得をやめさせること、人の臓器の利用について明確なガイドラインを作ること、遺伝子診断のデータ公開を義務づけることなどを主張している。本書は生物学の知識がないとわかりにくい個所もあるが、遺伝子というものがいかに大きなビジネスとなりつつあるか、我々の細胞や臓器が人身売買のように売り買いされるものになりつつあるかを教えており、戦慄すべき時代にさしかかっていることを示唆している。(2012.1.15)
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by tochimembow | 2012-01-15 16:58 | 読後感

最近、こんな本を読んだ

ジェフリー・ディーヴァー 青い虚空 (新潮文庫)
最近亡くなった俳優で読書家の児玉清氏はジェフリー・ディーヴァーの大ファンだったことをNHKの「週刊ブックレビュー」児玉清追悼番組で知った。そこで、興味を持ってディーヴァーの本としてこれを選んだ。コンピューターを使った犯罪を描いたものだが、ストーリーはすこぶる面白い。クラッカー(ハッカー)にとってはコンピューター内の機密などないに等しいことがよく分かった。パスワードを見破ることは素人でもできると聞いたことがあるが、この本では、クラッカーが、相手が一瞬インターネットにつないだ隙を狙って情報をすべて盗み出す。それをもとに殺人を繰り返し、犯人に対抗して警察が雇ったのがクラッカーとして逮捕され、服役中であった者で、両者がコンピューター上で熾烈な戦いを繰り広げる。
 この本によると、もっともセキュリティが甘い組織は学校だそうで、成績表の書き換えなどいとも簡単なことのようだ。最近、コンピューターを悪用した犯罪:ソーシャル・エンジニアリング、フィッシング、スキミング、スパイウエア、ワンクリック詐欺などが横行しているが、我々はそれらが何かをあまりにも知らない。この本を読むと、そういう犯罪に気をつけなければと注意心をかき立てられる。ウイルス対策ソフトをインストールしているだけではダメなのである。

高木仁三郎 原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)
高木氏は11年前に亡くなった科学者で、もともとは日本原子力事業という原子炉の会社に勤めていて、その後、東大、都立大の教員を経て、原子力資料情報室(現在はNPO法人)を立ち上げ、市民運動家として反原発運動を展開していた人である。この本は、高木氏ががんで、余命2ヶ月というときに遺言のつもりで口述したものをテープ起こしして出版したものである。福島原発の事故が起こったとき、高木氏が生前この事故を予言していたと評判になった。
 本書は、原発事故がなぜ起こるかを技術的な側面から解説しているわけではない。人的な側面(原子力産業や電力会社に勤める人の意識、科学技術庁など関係官庁の考え方の甘さ、原発のチェック制度、学者を中心に構成される各種委員会の在り方)に原発事故を招く原因が潜んでいると指摘する。また数々のデータ隠蔽、ねつ造がされて事故対策がおろそかになっていたとも指摘している。高木氏の存命中、すでにチェルノブイリ事故は起こっており、日本でも1995年の福井での「もんじゅ」の事故、1997年の東海村・動燃での火災爆発、1999年の東海村JCOでの臨界事故など原発事故が多発していて、高木氏はそれらを分析して、企業、政府、学者が根本的な事故対策を考えないと大きな事故を招くと予言していた。この本がやるべきといっていた対策を立てていたら、福島原発はあれほどひどい状況にはなっていなかったであろう。問題点を指摘する人がいるのに、それに真剣に向き合わないという体質が日本にはあり、安全性とか技術というものを考えさせる本である。
 高木氏が原子力資料情報室のを社団法人とするよう科学技術庁に申請したとき、それが却下された。その理由は、原子力基本法では原子力の研究開発および利用を推進するとうたっているから、脱原発を目指す原子力資料情報室は公益性に反するということであった。このエピソードに今回の原発をめぐって起きた問題が象徴的に現れているように思える。
 この人もすでに1997年に亡くなっているが、平井憲夫という原発で働いていた人が現場から原発がいかに危険であるかを語った記事がある。これも一読すべき文である。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page1

中村 明  語感トレーニング-日本語のセンスをみがく55題 (岩波新書)
私は文章の書き方や言葉(日本語、英語にかかわらず)に関する本をよく読むが、語感という視点から日本語を論じた本は初めてだった。たとえば「ご飯」と「ライス」と「めし」では使う場面が異なる。「言う」と「ほざく」と「おっしゃる」と「言われる」では、言葉にこめた尊敬の気持ちが異なる。会話で自分の妻のことを言うのに何というか?「妻、うちのやつ、かあちゃん、かかあ、家内、かみさん、愚妻、細君、連れ合い、女房、ワイフ、フラウ、山の神、嫁」など、それぞれ夫は結構呼び方に困っているのではないだろうか?女性が配偶者を指すとき「主人、旦那、亭主」が使われてきたが、いずれも男性優位の時代の呼称である。「夫」と呼ぶ人はまだ少ない。このように同じ意味でもニュアンスが違う言葉の使い方を指導している。
 「次の言い方のどれが正しいか? 【a.考えた b.思った c.信じた】ことをすぐそのまま口に出してはいけない。」というような例題で、この場合はどの言葉を使うのが適切かというレッスンをしながら、読み進めるので参考になることが多い。ただし、語感には一般的なルールがないから、このときどういう言葉を使えばいいだろうというときにはこの著者が書いた『日本語 語感の辞典』(岩波書店)を参照するしかない。

水野敬也 夢をかなえるゾウ (飛鳥新社)
本を注文して取り寄せたら、帯に「170万部のベストセラー」とあった。基本的にベストセラーは読まないという偏屈な主義を持っているが、買った以上読むことにした。しがない若者がある朝、「おい、起きろや」という声で目を覚ますと部屋にゾウがいて、自分は神様だという。ガネーシャと名乗るそのゾウは、そのまま部屋に居着いて、タバコを買ってこい、みつまめを食わせろと関西弁で要求する。そのゾウがいうことを聞いて、実行すれば成功するといわれ、若者は半信半疑で実行するのだが、最初の課題は「靴を磨け」で、次は「コンビニでお釣りを募金しろ」、「食事は腹八分にしろ」とわけの分からないことを要求される。それをやっているうちにだんだんやる気が出てきて、若者は変わっていくというストーリーになっている。要を言えばこの本は、ピーター・ドラッカー、アンドリュー・カーネギー、スティーブ・ジョブス、ビル・ゲイツ、リンカーン、カーネル・サンダース、福沢諭吉、松下幸之助、イチローなど有名人の人生から得られる成功の秘訣を分かりやすく紹介したものである。面白い仕立てになっているが、軽く読めすぎて後に残らない気がした。人生の教訓を教える本はじっくり考えながら、読む方が効果的ではないだろうか。
(2011.9.10)
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by tochimembow | 2011-09-10 18:06 | 読後感

NZで読んだ本

ニュージーランドに住んでいる間に10数編の本を読んだが、その中で印象に残った二人の作家の作品

藤沢周平 秘太刀 馬の骨、静かな木
馬の骨という秘剣を使って藩の重役を暗殺したものがいる。その秘太刀を使えるのはその秘法を編み出した故矢野仁八郎から伝授された高弟の中の一人である。それは誰か?藩を牛耳る家老の甥である石橋銀次郎という男がその探索を頼まれ、可能性のある5人の男ひとりひとりに試合を挑んでその秘太刀を使うかどうか試そうとする。誰も試合には応じないので、銀次郎は各人の弱み(スキャンダル)を握って、それを脅しに試合に立たせる。その5人の男たちとの果たし合いがそれぞれ章になっているが、その高弟ひとりひとりにドラマがあり、ほのぼのとした結末がある。一つ一つの章が優れた短編小説のようになっているところにこの小説のミソがある。そして誰が秘太刀の使い手なのか、家老はなぜそれにこだわるのか、ミステリー仕立ての展開に引き込まれる。それがもう一つのおもしろさである。あと一つ興味を引くのは主人公夫婦のぎくしゃくした関係が物語の展開に絡んでくるところである。

藤沢周平がもっとも脂ののりきった頃に書かれた小説ではないだろうか。読んでいて文章に淀むところがなく、筆が躍るように書き進んでいるのを感じる。時代小説は好きだが、この人の良さは文章がとびきりうまいことである。凄惨な果たし合いの場面でもそこに情景描写の一文を挿入することで、決闘に臨む男の心情が何気なく伝わるのである。たとえば、銀次郎が闘いに敗れたあと、
銀次郎を振りむいて、半十郎は行くかと言った。歩き出したとき、日の最後のかがやきがつめたく顔に貼りついてくるのを感じた。目を上げると、城下の南西に遠く横たわる丘に、日が隠れるところだった。

藤沢の文章のうまさは花とか風とか雲とか日差しとかある風景を短い文章で表現して、それで花の香りとか風の冷たさとか雲のたたずまいとか陽光の暖かさとかがそこの現場に立ち会っているような実感が生まれるところにある。

もう一つの本「静かな木」は藤沢が晩年近くに書いた、3編の短編小説を集めた100ページほどの薄い本であるが、無駄をそぎ落としてぎりぎりまで凝縮させた、文字通り静かに立つ古木のような味わいがある。文庫本の解説は立川談志が書いているが、彼の次の文章はよく知られている。
私は未読の藤沢作品を数冊残している。すべて読んでしまったあとの淋しさを考えてのことである。

司馬遼太郎 翔ぶが如く
司馬遼太郎は彼の著作の中でもっとも長い(文庫本で全10巻)この本を50代の前半に4年半かけて書いた。
第一巻で司馬は「西郷という、この作家にとってきわめて描くことの困難な人物を理解するには、西郷にじかに会う以外になさそうである。われわれは他者を理解しようとする場合、その人に会ったほうがいいというようなことは、まず必要ない。が、唯一といっていい例外は、この西郷という人物である。」と書いている。すなわち司馬は膨大な資料を調べ、この長大な作品を書きながら日本の歴史でもっとも魅力的な人物であったと言われる西郷隆盛の実像を明らかにしようという意図を持っていたと思われる。結果的にはそれは結実せず、最後の「書きおえて」に書いているように「この作品では最初から最後まで、西郷自身も気づいていた西郷という虚像が歩いている。・・・主人公は要するに西郷という虚像」であったという結びとなる。
 西郷が作品の中で不可解なままの人間に終わった原因の一つは西南戦争中に彼が何を考えたか、何を言ったか、配下の者たちに何を指示したかの資料がほとんどないことによる。実際に西郷は反乱軍の首領でありながら、黙して語らず、格別の指示も与えず、シンボルとして利用されただけであったことは確かなようである。

西南戦争の前夜、西郷は国内で圧倒的な人気があった。司馬は、「あの人(西郷)には私欲がなくまことにみごとなものであったが、ただ人望欲というのがあり、それがひとにかつがれるはめになり、身を誤らせた」という大山巌の言葉を何度も引用している。多くの人が自分に慕ってくるのを好み、そのため西郷を慕う人の願いを押さえることができず、西南戦争に踏み込むしかなかったのではないか。西郷は征韓論を唱える頃から、維新後の政治に絶望し、かといってどうすればいいという展望もなく「自分自身の無能さをふくめて何もかもに厭気がさし」、おそらくは西南戦争にも希望を持たず、ひたすら死に場所を探していたと思われる。

司馬が40代前半に書いた「竜馬がゆく」は寝待の藤兵衛など架空の人物を登場させて、フィクション的要素の強い小説となっている。坂本竜馬への思い込みの強さが際立っており、竜馬は神に使わされた革命者であったような書き方までしている。40代後半に書き始めた「坂の上の雲」では資料を十分リサーチしつくした上で、実証的に日露戦争を描いている。その次の大作「翔ぶが如く」では資料へのこだわりはさらに徹底し、作者が推測で書くところは「・・と思われる」、「・・ではないだろうか」、「・・であろう」という表現が多出し、一節に5,6ヶ所もそういう表現が出てくるとやや煩わしく感じられるほどとなる。また所々で「余談ながら、」と枝道に入って注釈的となることも多い。もはや小説とはいえないようなスタイルである。したがって西郷はこう考えたであろうという推測に基づく記述は避けている。このように小説のスタイルが変わってきたのは司馬が近代から現代へ続く日本人というものを深く洞察するようになり、日本人の考え方に影響した時代背景を明らかにすることをライフテーマとするようになったからであろう。

この作品で司馬が指摘している重要なポイントは、現在まで続く日本の国家体制の成立についてである。司馬は、西南戦争は日露戦争の布石となり、日露戦争は太平洋戦争の布石となったと考えている。
明治維新によって「官」の国家が成立したが、その立役者は新体制確立のため外国視察を行った薩摩人(大久保利通、川路利良、大山巌、西郷従道)や木戸孝允、伊藤博文、山県有朋などの長州人らであった。西郷は外遊をせず、自ら作り変えた国が官僚国家となる現実に絶望し、一方大久保はその体制でしか日本の近代化はあり得ないと考えていた。そして明治維新に命をかけた旧武士たちは、その功績に報いられるところがなく、逆に特権を取り上げられ、政府に対する不満を持っていた。彼ら(特に薩摩士族)が西郷をシンボルとして、その周りに野党集団を結成した。彼らは体制に対しては苛烈な批判をもっていたが、しかしどういう国家を作るべきかという案は持っていなかった。西郷も「官」の国家に代わる国のかたちを考えることができず、結局単なる不平不満のエネルギーが自然発火で爆発するように西南戦争が起こった。

重要なことは、司馬はその構図が現代でも変わっていないと考えていることである。今日でも「日本における野党が、政府攻撃において外交問題をかかげるときに昂揚するという性癖はこのときから出発したのかもしれず、また激しく倒閣を叫びながら政権交代のための統治能力を本気で持とうとしないという性癖も、この時期の薩摩勢力をもってあるいは祖型とするかもしれない」と言う。司馬がこのことを言ったのは今から35年前であるが、2年前に政権が交代して、多くの期待を集めながらも、いまだよちよち歩きで支持率が激しく上下する現政権は、明治に出現した政権に酷似するところがあるのではないだろうか。
(2011/3/28)
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by tochimembow | 2011-03-28 23:37 | 読後感

「私の個人主義」を読む

昨日、今日と冷たい雨が降り、時おり強風も交るため外に出ず、青空文庫で夏目漱石の「私の個人主義」を読む。これは大正3年に学習院の学生を対象に行った講演を文章化したものである。時代は日露戦争に勝利した9年後にあたり、第一次世界大戦が始まった年でもあった。国民の中には「日本は無敵」という空気があり、国家主義の風潮が台頭しつつあった。漱石はユーモアを交えながら、後半で日本が国家主義の名目で個人の幸福、生活を圧しつぶして戦争の方向に進んでいく危険性を鋭く批判し、あえて個人主義の立場を取ると宣言している。漱石の警鐘にもかかわらず日本はその17年後には満州事変を起こし、太平洋戦争へと突き進んでいった。

司馬遼太郎は「坂の上の雲」で日本が日露戦争に勝ったのは日本民族として偉大な事業であったが、これに勝ったため日本人はおかしな“精神状態”に陥り、後の軍国主義につながったと述べている。ずっと前に「坂の上の雲」を読んだときは司馬の慧眼に感心したものだが、司馬は二つの戦争が終わった後でこれを書いている。漱石は日本人がおごり高ぶっている真っ最中にその“精神状態”、国家主義の危険性を見抜き、指摘したものであり、彼の洞察力と勇気にはただ頭が下がる。しかし私が外国に住みながら「私の個人主義」を読んで感じ入ったのは、漱石がロンドンに留学中、いろいろ悩んだ末に個人主義という立場に到達した部分である。

それまでの漱石は「私は始終中腰で隙があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切って’やっ’と飛び移れない」、「私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦すくんでしまったのです」と自分の道を見つけられない状態であった。彼は文部省から英語研究のためイギリス留学を命ぜられたのであるが、留学先の大学教授が教えることには興味が湧かず、イギリス人は日本人を蔑視しているという被害妄想もあり、コミュニケーションを欠いて極度の“神経衰弱”(漱石の表現、今ならうつ病というべきであろう)状態にあった。「私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せる」という一点を見つけようと煩悶を繰り返した結果「今までは全く他人本位で、根のない萍(うきくさ)のように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であった」ということに気がつく。そこで“他人本位”ではなく、“自己本位”に生きようという考えに到達し、漱石の“個人主義”が成立していくのである。「私は多年の間懊悩(おうのう)した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がし」、そこから彼独自の研究の完成と哲学的思索にふけり出す。そして帰国1年後に「吾輩は猫である」を発表、次々と多くの作品を生み出す。

今、我々が外国で一人の生活をしてもさまざまなコミュニケーションが取れるのでこのような閉塞的な状況には陥らない。たとえそうなっても「あの人はうつ病になった」で片付けられてしまう。しかし日本にいて有り余るほどのコミュニケーションができる状況(その多くは浮薄なものであるが)の中で生きているのに比べると、家族からも離れて外国で暮らし、現地の人と万全の交流ができない状況にいると何か今まで気がつかなかった自分の別の側面が見えてくるような気がする。それは漱石のように新たな哲学的概念を得るというほどのものではないが、自分の間抜けさ、滑稽さ、衝動的なもの、何に喜びを感じるかといったことを自ずと知らされ、うまくいけばそこから新たな発展が生じる可能性がある。誰も自分のことは分からない。そういう霧の中でどこかの部分が晴れてくるようなものである。”もたれ合っていない”関係にいるということが重要なのかもしれない。
(2010/11/6)
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by tochimembow | 2010-11-06 19:40 | 読後感
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定年退職後、リフレッシュのためニュージーランドを半年間漂流しているうちクライストチャーチ大地震に遭遇。日本に戻ったら、またしても働くことに。 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず(芭蕉)


by tochimembow
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