人生漂流

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定年後も働きたいか?

7月23日の朝日新聞に「定年を過ぎても働き続けたい?」というアンケート結果が出ています。それによると「はい」と答えた人が70%、「いいえ」と答えた人が30%です。「はい」の理由は、収入を得たい(1237人)、精神的に張り合いがある(1091人)、社会とつながっていたい(805人)の順です。「いいえ」の方は、自分の時間が欲しい(797人)、しんどい(368人)、家族と過ごしたい(352人)の順です。平均的な年金給付額は最も高かった平成11年に比べると平成19年で月1万5千円以上下がっており(厚労省 厚生年金受給者の平均年金月額の推移データ)、年々低下傾向にありますから、生活に不安があって「収入を増やしたい」という理由がトップに来るのは当然です。事実、アンケートで定年後の経済的不安を感じている人は73%もいます。

2、3位に来た「精神的な張り合い」や「社会とのつながり」がほしいというのは生き甲斐につながる問題です。「いいえ」と答えた人の「自分の時間が欲しい」や「家族と過ごしたい」という思いと表裏一体の関係にあるように思います。実際に、仕事を辞めて「さて、これから何をするか?」といったときに、それが見つからない人は多いでしょう。自分を活性化し続けていくには働き続けるのが一番いいというのは、これも理解できます。のめり込める趣味を持っていたり、自分にあったボランティア活動を見つけることができるなら「自分の時間が欲しい」の方になるでしょう。

私は退職した1年目に半年間、ニュージーランドで暮らし、2年目からは元の職場でまた働き始めました。どっちの生き方がいいのか、まだ答えは出ません。ただ、これからの大事な第二の人生を考えると「働き続けていていいのだろうか?」と疑問を感じることが多々あります。年とともに心身が衰えていくことを考えると、自由に行動できるのはあと10年間くらいしかないのではと思います。日本人男性の平均寿命は79歳ですから、そこで自分の命がつきるなら、あと10年少ししかありません。自分は、本来は自由気ままに生きたい性分だったはずですから、その自由を使える時間はそれほどありません。

「もう一度、仕事をしてくれ」と言われたことは嬉しいことですが、いつまで続けるかの見極めは自分でつけなければなりません。実際には役に立っていないのに「まだ働く」とがんばって周りに迷惑をかけるということもありえます。自分は世の中のために役立っているのかというようなことは考えていなければなりません。ともかく、定年後とは自由選択肢が増えると言うことですから、自分が生き甲斐と感じられることを選んでいけばいいのでしょう。(2011.7.23)
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by tochimembow | 2011-07-23 17:09 | 宮仕え 再び

地震、津波、原発の三重苦にあえぐ人々

宮城県に住む知人のS氏から東日本大震災の経験を綴った生々しいメールが届きました。
私のブログとは直接関係ありませんが、地震、津波、原発に悩まされる人々の実態を知っていただくため以下に引用します。

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ご無沙汰しております。地震の際にはお見舞いと励ましを頂戴し、ありがとうございました。早々に頂戴したお見舞いのメールについて、忘れていたことはありません。しかし、あまりにとんでもない事態が立ち現れた衝撃で、正気を取り戻すのに(誇張ではなく)丸三ヶ月くらいはかかっておりました。そこからようやく、先行きに対する一定程度の見通しのようなものを含んだ行動が開始されたような状況で、ご連絡申し上げるのが、こんな時期になってしまいました。無礼をお詫び申上げます。

当日は学会へ向かう新幹線の車中で地震に見舞われ(したがって、例の地震の揺れ自体は、何と私は経験していないのです。確かに揺れはしましたが、減速中の新幹線車内はいまにして思えば信じられないほど「大したことない」状態で、世の中があんなことになっているのを知ったのは、丸一日以上たって地上に救出され、避難所にテレビが持ち込まれてからのことでした・・・)、翌12日の午後二時前に山のてっぺんに導き出されるまで、24時間弱のあいだ、福島と郡山の中間にある一番長いトンネルの中に、800名の乗客と共に幽閉されておりました。初めて車内に水が来たのが12日の深夜2時ころ、おにぎりが来たのが早朝5時ころで、真っ暗けの車内で空腹で、ちょっとした社会心理学の実験場みたいな様相を呈しておりました。

バスで一時間半かけて福島市南部の高校の体育館に運ばれて、そこから先は翌日13日にJRがバスを出すからとだけ言われて放り出され、一時間ほどして体育館にテレビが運び込まれ、つけた途端に映し出された画面が、第一原発の一号機が爆発した映像。誰かが「これは生中継ですか?」と問うたのに対して誰かが「いえ、録画ですね。今日の午前中に爆発しましたから。」と答えたのを聞いた時の戦慄は忘れられません。よりによって、そのとき一番居てはいけない場所に自分が居るらしいということ。発電所からその高校まではだいたい50キロちょっとだと聞き、何が何でも逃げ出して、宮城の子供の所へ帰らねばと、行動を開始しました。無知というのは悲しいもので、当時、福島市民は事の重大さを理解していない人が多く、避難所で私が「すぐに逃げないと!」と声をかけても同意した人は極わずかで、しかしそれが幸いして、約7時間ほどの滞在でタクシーを手配することに成功し、停電で真っ暗な中を自宅へ向かいました。

12日の深夜に自宅に帰りつき、無事だった女房と子供達に再会。家財は木っ端みじんになっていましたが、建物自体は全く無傷だったため、翌朝日が昇るまでは被害の深刻さも分からず、疲れ果てて寝てしまいました。13日はけなげにも出勤してきた職員と仕事場の片づけをして、とりあえず14日から業務を始めてみました。そのころには、ソーラー発電を持っている近所の家ではテレビが見られて、ガソリンの供給に問題があることを知り、たまたま満タンだった車には一切のらないことを決め、窓を目張りして換気口をふさぎ、子供達を部屋に閉じ込めて私だけが情報収集のために外へ出たりしてましたが、いよいよ原発はどうにもならないらしいことが見えてきて、14日の昼前には3号機が爆発(いまだに水素爆発だと言い張っていますが、あれは十中八九プール内の燃料の臨界爆発でしょう)。知り合いの外国人が真っ青になって「お前も逃げなきゃ!子供に責任があるだろ!」と諭してきたので、経営者としての生活を諦めて、一転15日からの業務取りやめを決断し、14日夜七時に持てる限りの荷物と猫を抱えて、山形に出発しました。周囲は基本的に誰も逃げておらず、住み慣れた街を見捨てることに理解を得られる当てもなかったため、伝えるべき人々にはてんでバラバラでたらめの理由を告げて、忽然と姿を消すことを選びました。山形でその先の手配をするのに2晩かかり、やっと取れたチケットの中から最終的に「那覇」と「伊丹」のどちらかにしようということになり(山形では震災の影響もなく、太平洋側から人々が大挙して逃げてくる数日前であったことから、ネットも含めて、原発の研究をする手段と時間は残っていたのです)、悩みに悩んで大阪行きに決定。期限を定めず受け入れてくれるという関西在住の女房の友達の実家に、16日の夜から猫連れで居候させていただくことにしました。

その家には大学の先生も逃げてきていたため、一緒に原発研究にいそしみ(笑)、現実的に許容すべきと思われる線量まで自宅付近が落ち着くのを待ち、一週間ちょっとでまず私が戻って会社を再開し、一ヶ月半くらい遅れて、妻子を呼び戻し今に至っております。さまざまな偶然の産物に助けられた面はあったものの、大量の放射性降下物が近隣一帯に降り注いだ日の前々日には子供を連れ出し、少なくとも千葉・埼玉や都内よりは線量が下がるまで疎開させたことで、将来的に、子供にはそれで勘弁してくれるよう話して聞かせるつもり。しかし、本当に取り返しのつかないことをやってしまったものです。食べ物を通じた内部被ばくが不可避のこれから、当初の死の灰を吸い込んだかどうかは大問題。ほとんどの人々(宮城も福島も栃木も)は、実は「いまさら・・・」というタイミングになってから逃げ出したわけで、異動に伴う社会的な損失ほどのメリットは受けていないと考えられ、これが後々十年後、二十年後にどういう形かで人々を苦しめるようになるとすれば、本当に救いのない話であります。

津波は、海岸から約3キロぐらいまでやられましたが、私の家は8キロ近く内陸にあったので実害はありませんでした。しかし、沢山のお得意さんが亡くなりました。今でも彼らがもうこの世にはいないということが、信じられません。それこそ当初は「完全に人生終わったな」と絶望しましたが、人員整理までして再出発したその後はと言えば、意外と需要が残っていたようで、本当に幸いなことに今日現在まだ倒産せずに生きています。特に自宅家財や機材については、年々高額な保険料を納めてきた甲斐あって全面的にカバーされ、創業からちょうど十年たち、機材更新の波が押し寄せてくるタイミングだっただけに、言葉は悪いのですがいわゆる「焼け太り」的な結果となり、これが純粋に地震(と津波)だけの問題だったら、気を取り直して、新しい設備に囲まれて、再出発!ということだった訳です。

しかし、原発が逝ってしまいました。この土地で生活を続けること自体に、ゴーイングコンサーンが生じるなどということは、夢にも思っていませんでした。年初に、肩凝りや老眼もひどくなってきた私自身の負担を減らそうと、贅沢を承知で高価な器械を導入した頃のことが、どれほど恨めしく思い出されたことか。一寸先は闇とは言っても、ここまで根本的に、しかも私一人じゃなく、お客も同業者も、土地の山野も根こそぎ存亡の危機にさらす事態など、想像しろと言っても無理というもの。吐き気を催す話ですが、子供が生まれて最初にしたことの一つに、子供の名義で東電株を買った次第。たまたま前期末(3月末)に向けて、東電株が値上がりしていたため、配当を取るより保険が必要と、空売りをかけていたところに地震が来たので、処分損は五十万くらいで済みましたが、時期が違えば、そもそも配当狙いの長期保有用でしたから、とんでもない額の損害が上塗りされていたはず。

昔から原発に反対している人はいました。私も何となく胡散臭いとは思っていましたが、それ以上、真実を知るための努力をしませんでした。揚句、株主にまでなった。どんな恐ろしいシステムに乗っかって儲けている会社なのか、まったく無批判に株を買った。今はひたすら反省の日々です。事故後、わが子の安全のために、切実な思いで調べ上げ、読み漁った原発研究は、長いと言ってもたかだか3か月ほどのもの。高校受験だって、もうちょっとまとまって勉強します。そんな程度の労力で知ることができたはずの原発ビジネスについて、それこそ何十年間も無知蒙昧で過ごし、テレビや新聞を総動員しての原発洗脳にまんまとはまり、その結果がこのざまです。日々のささやかな努力も、将来への淡い期待も、全て消し飛んでしまいました。現時点でとりあえず、事業は継続できて、家も家族も無事で、4カ月かかったけれど、3月初旬の人生との連続性を取り戻しつつある私でさえ、この混乱と動揺です。汚い金で頬を叩かれ原発立地を許したがために、帰る家も食うための仕事も全部消えてなくなった人たちの苦しみは、察するに余りあります。しかも、福島あたりだと、特段うま味にありついたわけでもないのに、全てなくしてしまった人というのも結構いまして、その人たちなどこれから何人自殺者が出ても驚かないという境遇。うちにも双葉郡からやってきた原発猫を頼まれて預かっていますが、猫より、大変なのはやっぱり人間です。

あんな非効率的で経済合理性のかけらもなく、存在し続ける限り最下層クラスの被曝奴隷労働が不可欠で、核廃棄物の始末もできず、ごく限られた集団にだけ途方もない利益をもたらし、しかも結局はアメリカに根こそぎ収奪されるしかない構造の原発に対しては、原発でうまい汁を吸っている人以外全員、あんなものに同意する理由もなければ、諦めて受け入れるべき大義も何もないと、私は結論しました。そのような方向を目指さない場合は、個人レベルでこの国を捨てるしか道はないということでもあります。日本で生きてゆくことに、希望はありますでしょうか・・・。
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by tochimembow | 2011-07-22 14:49 | 大地震

霧島の夏

台風6号が接近するという中、長女夫婦が東京から来ました。そこで4人で霧島、桜島を旅行しました。新燃岳がいまだに活動中のため、韓国岳、高千穂峰は登山禁止で、仕方なくえびの高原の池をめぐる散策だけにしました。

このシーズンのえびの高原は山登りやキャンプに来る人が多いのですが、駐車場はぽつぽつと車があるだけで閑散としています。休日は韓国岳に登る人が行列をなしているのが高原から見えるのですが、全く人影はありません。えびの高原で国立公園の管理に当たっているらしい人からオオヤマオダマキが咲いているよと紹介されました。
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霧島一帯でこの花を見たのは初めてです。盗掘されたり、鹿に荒らされたりして見かけることは少ないそうです。

ナツツバキも咲き始めているよと言われました。つぼみがいっぱいついていたので、全部が咲くと見事でしょう。
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韓国岳は緑におおわれて美しい姿を見せていました。
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新燃岳は韓国岳の後側にあるのですが、噴煙らしきものは上がっていませんでした。えびの高原の露天風呂は水温が下がって6年前から閉鎖となったままで、硫黄山は煙を上げなくなって何年もたっています。すぐ近くの新燃岳は火山活動が活発になっているのでこちらの地熱も上昇してよさそうですが、不思議です。六観音御池から見た韓国岳です。
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韓国岳の頂上に立つと新燃岳、中岳、高千穂峰、大浪池が眺望され、それは日本の国立公園の中で第一級の秀麗な景色ですが、この半年間はそれを眺めることができなくなっています。ニュージーランドへ行く直前に高千穂峰に登って新燃岳を眺めましたが、今はどういう姿になっているのか、見てみたいものです。 (2011.7.16)
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by tochimembow | 2011-07-18 17:59 | 日本の自然

久々の更新

3月終わりにニュージーランドから帰国して、ニュージーランドについて書くこともなくなり、また4月から大学に勤めるようになり、【ニュージーランド漂流】のタイトルに合わない生活となったので、このブログを閉じようと思っていました。しかし、最後の記事を書いて3ヶ月たっても毎日30人以上の方がアクセスしているのでなかなか閉鎖することができず、ブログを続けてくれという方もおられて、結局定年退職者のつれづれ日記として同世代の方になにかの参考となればとブログを続けることにしました。

そこでブログのタイトルも「ニュージーランド漂流」から「人生漂流」に変えることにしました。退職を迎えた方はさまざまな形で第二の人生を送られていらっしゃいますので、経験交流の意味でコメントを寄せていただけると幸いです。

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私は、4月から、大学であるプロジェクトのコーディネーターのような仕事をしています。退職したときは自由気ままに暮らすつもりでいたのですが、もう一度働いてくれと言われると習い性がよみがえったのか、まじめに8時半までには大学に着いて働いています。定年前は教育と研究の生活で、何時までいようと残業代がつくわけでもないので、夜の9時、10時までだらだらと仕事をし、疲れるとネット・サーフィンなどもしていましたが、今は定時を過ぎて仕事をしていると残業扱いとなるので、そうならないよう5時半には仕事が終わるように集中してやっていると結構くたびれるものです。

働き出したとき同年輩の知人何人かに「これでボケなくていいね」と言われました。そう言われるということは自分がボケかかっているように見えるのだなと、妙に納得します。本人はまだ仕事をやれるとがんばっているつもりでも周りは「こりゃ、使い物にならん」と思っているのかもしれませんから、そこは早く察知して引くべきときにはさっと辞めようと思っています。ボケ防止のために働いているのでは周りは迷惑するばかりです。まだ世の中のために役立っているのなら、働く意味はありますが、それは自分の主観で判断できないことが多いので、引き際というのは難しい決断です。

話は変わりますが、菅首相は権力欲が強いのではなく、自分がやらなければ日本を立て直せないという強い思い込みがあるのだと想像します。浜岡原発を停止すると言ったときから菅批判が盛んになったので、菅降ろしの裏には経済界や電力業界の陰謀があると本人は考えているのではないしょうか。それは一面正しいと思います。ただあの人の不幸はその信念をサポートする同志がいないことです。周りの人間が信用できなくなって「たった一人の反乱」を続けていても国にとっては不幸です。やるべきことを考えている人は政治家にも、官僚にも、自治体にも多くいるはずです。それを結集できないのであれば、もはや引き際を考えるべきではないでしょうか。

横道にそれてしまいました。
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by tochimembow | 2011-07-13 19:09 | 宮仕え 再び
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定年退職後、リフレッシュのためニュージーランドを半年間漂流しているうちクライストチャーチ大地震に遭遇。日本に戻ったら、またしても働くことに。 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず(芭蕉)


by tochimembow
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