人生漂流

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NZで読んだ本

ニュージーランドに住んでいる間に10数編の本を読んだが、その中で印象に残った二人の作家の作品

藤沢周平 秘太刀 馬の骨、静かな木
馬の骨という秘剣を使って藩の重役を暗殺したものがいる。その秘太刀を使えるのはその秘法を編み出した故矢野仁八郎から伝授された高弟の中の一人である。それは誰か?藩を牛耳る家老の甥である石橋銀次郎という男がその探索を頼まれ、可能性のある5人の男ひとりひとりに試合を挑んでその秘太刀を使うかどうか試そうとする。誰も試合には応じないので、銀次郎は各人の弱み(スキャンダル)を握って、それを脅しに試合に立たせる。その5人の男たちとの果たし合いがそれぞれ章になっているが、その高弟ひとりひとりにドラマがあり、ほのぼのとした結末がある。一つ一つの章が優れた短編小説のようになっているところにこの小説のミソがある。そして誰が秘太刀の使い手なのか、家老はなぜそれにこだわるのか、ミステリー仕立ての展開に引き込まれる。それがもう一つのおもしろさである。あと一つ興味を引くのは主人公夫婦のぎくしゃくした関係が物語の展開に絡んでくるところである。

藤沢周平がもっとも脂ののりきった頃に書かれた小説ではないだろうか。読んでいて文章に淀むところがなく、筆が躍るように書き進んでいるのを感じる。時代小説は好きだが、この人の良さは文章がとびきりうまいことである。凄惨な果たし合いの場面でもそこに情景描写の一文を挿入することで、決闘に臨む男の心情が何気なく伝わるのである。たとえば、銀次郎が闘いに敗れたあと、
銀次郎を振りむいて、半十郎は行くかと言った。歩き出したとき、日の最後のかがやきがつめたく顔に貼りついてくるのを感じた。目を上げると、城下の南西に遠く横たわる丘に、日が隠れるところだった。

藤沢の文章のうまさは花とか風とか雲とか日差しとかある風景を短い文章で表現して、それで花の香りとか風の冷たさとか雲のたたずまいとか陽光の暖かさとかがそこの現場に立ち会っているような実感が生まれるところにある。

もう一つの本「静かな木」は藤沢が晩年近くに書いた、3編の短編小説を集めた100ページほどの薄い本であるが、無駄をそぎ落としてぎりぎりまで凝縮させた、文字通り静かに立つ古木のような味わいがある。文庫本の解説は立川談志が書いているが、彼の次の文章はよく知られている。
私は未読の藤沢作品を数冊残している。すべて読んでしまったあとの淋しさを考えてのことである。

司馬遼太郎 翔ぶが如く
司馬遼太郎は彼の著作の中でもっとも長い(文庫本で全10巻)この本を50代の前半に4年半かけて書いた。
第一巻で司馬は「西郷という、この作家にとってきわめて描くことの困難な人物を理解するには、西郷にじかに会う以外になさそうである。われわれは他者を理解しようとする場合、その人に会ったほうがいいというようなことは、まず必要ない。が、唯一といっていい例外は、この西郷という人物である。」と書いている。すなわち司馬は膨大な資料を調べ、この長大な作品を書きながら日本の歴史でもっとも魅力的な人物であったと言われる西郷隆盛の実像を明らかにしようという意図を持っていたと思われる。結果的にはそれは結実せず、最後の「書きおえて」に書いているように「この作品では最初から最後まで、西郷自身も気づいていた西郷という虚像が歩いている。・・・主人公は要するに西郷という虚像」であったという結びとなる。
 西郷が作品の中で不可解なままの人間に終わった原因の一つは西南戦争中に彼が何を考えたか、何を言ったか、配下の者たちに何を指示したかの資料がほとんどないことによる。実際に西郷は反乱軍の首領でありながら、黙して語らず、格別の指示も与えず、シンボルとして利用されただけであったことは確かなようである。

西南戦争の前夜、西郷は国内で圧倒的な人気があった。司馬は、「あの人(西郷)には私欲がなくまことにみごとなものであったが、ただ人望欲というのがあり、それがひとにかつがれるはめになり、身を誤らせた」という大山巌の言葉を何度も引用している。多くの人が自分に慕ってくるのを好み、そのため西郷を慕う人の願いを押さえることができず、西南戦争に踏み込むしかなかったのではないか。西郷は征韓論を唱える頃から、維新後の政治に絶望し、かといってどうすればいいという展望もなく「自分自身の無能さをふくめて何もかもに厭気がさし」、おそらくは西南戦争にも希望を持たず、ひたすら死に場所を探していたと思われる。

司馬が40代前半に書いた「竜馬がゆく」は寝待の藤兵衛など架空の人物を登場させて、フィクション的要素の強い小説となっている。坂本竜馬への思い込みの強さが際立っており、竜馬は神に使わされた革命者であったような書き方までしている。40代後半に書き始めた「坂の上の雲」では資料を十分リサーチしつくした上で、実証的に日露戦争を描いている。その次の大作「翔ぶが如く」では資料へのこだわりはさらに徹底し、作者が推測で書くところは「・・と思われる」、「・・ではないだろうか」、「・・であろう」という表現が多出し、一節に5,6ヶ所もそういう表現が出てくるとやや煩わしく感じられるほどとなる。また所々で「余談ながら、」と枝道に入って注釈的となることも多い。もはや小説とはいえないようなスタイルである。したがって西郷はこう考えたであろうという推測に基づく記述は避けている。このように小説のスタイルが変わってきたのは司馬が近代から現代へ続く日本人というものを深く洞察するようになり、日本人の考え方に影響した時代背景を明らかにすることをライフテーマとするようになったからであろう。

この作品で司馬が指摘している重要なポイントは、現在まで続く日本の国家体制の成立についてである。司馬は、西南戦争は日露戦争の布石となり、日露戦争は太平洋戦争の布石となったと考えている。
明治維新によって「官」の国家が成立したが、その立役者は新体制確立のため外国視察を行った薩摩人(大久保利通、川路利良、大山巌、西郷従道)や木戸孝允、伊藤博文、山県有朋などの長州人らであった。西郷は外遊をせず、自ら作り変えた国が官僚国家となる現実に絶望し、一方大久保はその体制でしか日本の近代化はあり得ないと考えていた。そして明治維新に命をかけた旧武士たちは、その功績に報いられるところがなく、逆に特権を取り上げられ、政府に対する不満を持っていた。彼ら(特に薩摩士族)が西郷をシンボルとして、その周りに野党集団を結成した。彼らは体制に対しては苛烈な批判をもっていたが、しかしどういう国家を作るべきかという案は持っていなかった。西郷も「官」の国家に代わる国のかたちを考えることができず、結局単なる不平不満のエネルギーが自然発火で爆発するように西南戦争が起こった。

重要なことは、司馬はその構図が現代でも変わっていないと考えていることである。今日でも「日本における野党が、政府攻撃において外交問題をかかげるときに昂揚するという性癖はこのときから出発したのかもしれず、また激しく倒閣を叫びながら政権交代のための統治能力を本気で持とうとしないという性癖も、この時期の薩摩勢力をもってあるいは祖型とするかもしれない」と言う。司馬がこのことを言ったのは今から35年前であるが、2年前に政権が交代して、多くの期待を集めながらも、いまだよちよち歩きで支持率が激しく上下する現政権は、明治に出現した政権に酷似するところがあるのではないだろうか。
(2011/3/28)
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by tochimembow | 2011-03-28 23:37 | 読後感
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定年退職後、リフレッシュのためニュージーランドを半年間漂流しているうちクライストチャーチ大地震に遭遇。日本に戻ったら、またしても働くことに。 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず(芭蕉)


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