人生漂流

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地震、津波、原発の三重苦にあえぐ人々

宮城県に住む知人のS氏から東日本大震災の経験を綴った生々しいメールが届きました。
私のブログとは直接関係ありませんが、地震、津波、原発に悩まされる人々の実態を知っていただくため以下に引用します。

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ご無沙汰しております。地震の際にはお見舞いと励ましを頂戴し、ありがとうございました。早々に頂戴したお見舞いのメールについて、忘れていたことはありません。しかし、あまりにとんでもない事態が立ち現れた衝撃で、正気を取り戻すのに(誇張ではなく)丸三ヶ月くらいはかかっておりました。そこからようやく、先行きに対する一定程度の見通しのようなものを含んだ行動が開始されたような状況で、ご連絡申し上げるのが、こんな時期になってしまいました。無礼をお詫び申上げます。

当日は学会へ向かう新幹線の車中で地震に見舞われ(したがって、例の地震の揺れ自体は、何と私は経験していないのです。確かに揺れはしましたが、減速中の新幹線車内はいまにして思えば信じられないほど「大したことない」状態で、世の中があんなことになっているのを知ったのは、丸一日以上たって地上に救出され、避難所にテレビが持ち込まれてからのことでした・・・)、翌12日の午後二時前に山のてっぺんに導き出されるまで、24時間弱のあいだ、福島と郡山の中間にある一番長いトンネルの中に、800名の乗客と共に幽閉されておりました。初めて車内に水が来たのが12日の深夜2時ころ、おにぎりが来たのが早朝5時ころで、真っ暗けの車内で空腹で、ちょっとした社会心理学の実験場みたいな様相を呈しておりました。

バスで一時間半かけて福島市南部の高校の体育館に運ばれて、そこから先は翌日13日にJRがバスを出すからとだけ言われて放り出され、一時間ほどして体育館にテレビが運び込まれ、つけた途端に映し出された画面が、第一原発の一号機が爆発した映像。誰かが「これは生中継ですか?」と問うたのに対して誰かが「いえ、録画ですね。今日の午前中に爆発しましたから。」と答えたのを聞いた時の戦慄は忘れられません。よりによって、そのとき一番居てはいけない場所に自分が居るらしいということ。発電所からその高校まではだいたい50キロちょっとだと聞き、何が何でも逃げ出して、宮城の子供の所へ帰らねばと、行動を開始しました。無知というのは悲しいもので、当時、福島市民は事の重大さを理解していない人が多く、避難所で私が「すぐに逃げないと!」と声をかけても同意した人は極わずかで、しかしそれが幸いして、約7時間ほどの滞在でタクシーを手配することに成功し、停電で真っ暗な中を自宅へ向かいました。

12日の深夜に自宅に帰りつき、無事だった女房と子供達に再会。家財は木っ端みじんになっていましたが、建物自体は全く無傷だったため、翌朝日が昇るまでは被害の深刻さも分からず、疲れ果てて寝てしまいました。13日はけなげにも出勤してきた職員と仕事場の片づけをして、とりあえず14日から業務を始めてみました。そのころには、ソーラー発電を持っている近所の家ではテレビが見られて、ガソリンの供給に問題があることを知り、たまたま満タンだった車には一切のらないことを決め、窓を目張りして換気口をふさぎ、子供達を部屋に閉じ込めて私だけが情報収集のために外へ出たりしてましたが、いよいよ原発はどうにもならないらしいことが見えてきて、14日の昼前には3号機が爆発(いまだに水素爆発だと言い張っていますが、あれは十中八九プール内の燃料の臨界爆発でしょう)。知り合いの外国人が真っ青になって「お前も逃げなきゃ!子供に責任があるだろ!」と諭してきたので、経営者としての生活を諦めて、一転15日からの業務取りやめを決断し、14日夜七時に持てる限りの荷物と猫を抱えて、山形に出発しました。周囲は基本的に誰も逃げておらず、住み慣れた街を見捨てることに理解を得られる当てもなかったため、伝えるべき人々にはてんでバラバラでたらめの理由を告げて、忽然と姿を消すことを選びました。山形でその先の手配をするのに2晩かかり、やっと取れたチケットの中から最終的に「那覇」と「伊丹」のどちらかにしようということになり(山形では震災の影響もなく、太平洋側から人々が大挙して逃げてくる数日前であったことから、ネットも含めて、原発の研究をする手段と時間は残っていたのです)、悩みに悩んで大阪行きに決定。期限を定めず受け入れてくれるという関西在住の女房の友達の実家に、16日の夜から猫連れで居候させていただくことにしました。

その家には大学の先生も逃げてきていたため、一緒に原発研究にいそしみ(笑)、現実的に許容すべきと思われる線量まで自宅付近が落ち着くのを待ち、一週間ちょっとでまず私が戻って会社を再開し、一ヶ月半くらい遅れて、妻子を呼び戻し今に至っております。さまざまな偶然の産物に助けられた面はあったものの、大量の放射性降下物が近隣一帯に降り注いだ日の前々日には子供を連れ出し、少なくとも千葉・埼玉や都内よりは線量が下がるまで疎開させたことで、将来的に、子供にはそれで勘弁してくれるよう話して聞かせるつもり。しかし、本当に取り返しのつかないことをやってしまったものです。食べ物を通じた内部被ばくが不可避のこれから、当初の死の灰を吸い込んだかどうかは大問題。ほとんどの人々(宮城も福島も栃木も)は、実は「いまさら・・・」というタイミングになってから逃げ出したわけで、異動に伴う社会的な損失ほどのメリットは受けていないと考えられ、これが後々十年後、二十年後にどういう形かで人々を苦しめるようになるとすれば、本当に救いのない話であります。

津波は、海岸から約3キロぐらいまでやられましたが、私の家は8キロ近く内陸にあったので実害はありませんでした。しかし、沢山のお得意さんが亡くなりました。今でも彼らがもうこの世にはいないということが、信じられません。それこそ当初は「完全に人生終わったな」と絶望しましたが、人員整理までして再出発したその後はと言えば、意外と需要が残っていたようで、本当に幸いなことに今日現在まだ倒産せずに生きています。特に自宅家財や機材については、年々高額な保険料を納めてきた甲斐あって全面的にカバーされ、創業からちょうど十年たち、機材更新の波が押し寄せてくるタイミングだっただけに、言葉は悪いのですがいわゆる「焼け太り」的な結果となり、これが純粋に地震(と津波)だけの問題だったら、気を取り直して、新しい設備に囲まれて、再出発!ということだった訳です。

しかし、原発が逝ってしまいました。この土地で生活を続けること自体に、ゴーイングコンサーンが生じるなどということは、夢にも思っていませんでした。年初に、肩凝りや老眼もひどくなってきた私自身の負担を減らそうと、贅沢を承知で高価な器械を導入した頃のことが、どれほど恨めしく思い出されたことか。一寸先は闇とは言っても、ここまで根本的に、しかも私一人じゃなく、お客も同業者も、土地の山野も根こそぎ存亡の危機にさらす事態など、想像しろと言っても無理というもの。吐き気を催す話ですが、子供が生まれて最初にしたことの一つに、子供の名義で東電株を買った次第。たまたま前期末(3月末)に向けて、東電株が値上がりしていたため、配当を取るより保険が必要と、空売りをかけていたところに地震が来たので、処分損は五十万くらいで済みましたが、時期が違えば、そもそも配当狙いの長期保有用でしたから、とんでもない額の損害が上塗りされていたはず。

昔から原発に反対している人はいました。私も何となく胡散臭いとは思っていましたが、それ以上、真実を知るための努力をしませんでした。揚句、株主にまでなった。どんな恐ろしいシステムに乗っかって儲けている会社なのか、まったく無批判に株を買った。今はひたすら反省の日々です。事故後、わが子の安全のために、切実な思いで調べ上げ、読み漁った原発研究は、長いと言ってもたかだか3か月ほどのもの。高校受験だって、もうちょっとまとまって勉強します。そんな程度の労力で知ることができたはずの原発ビジネスについて、それこそ何十年間も無知蒙昧で過ごし、テレビや新聞を総動員しての原発洗脳にまんまとはまり、その結果がこのざまです。日々のささやかな努力も、将来への淡い期待も、全て消し飛んでしまいました。現時点でとりあえず、事業は継続できて、家も家族も無事で、4カ月かかったけれど、3月初旬の人生との連続性を取り戻しつつある私でさえ、この混乱と動揺です。汚い金で頬を叩かれ原発立地を許したがために、帰る家も食うための仕事も全部消えてなくなった人たちの苦しみは、察するに余りあります。しかも、福島あたりだと、特段うま味にありついたわけでもないのに、全てなくしてしまった人というのも結構いまして、その人たちなどこれから何人自殺者が出ても驚かないという境遇。うちにも双葉郡からやってきた原発猫を頼まれて預かっていますが、猫より、大変なのはやっぱり人間です。

あんな非効率的で経済合理性のかけらもなく、存在し続ける限り最下層クラスの被曝奴隷労働が不可欠で、核廃棄物の始末もできず、ごく限られた集団にだけ途方もない利益をもたらし、しかも結局はアメリカに根こそぎ収奪されるしかない構造の原発に対しては、原発でうまい汁を吸っている人以外全員、あんなものに同意する理由もなければ、諦めて受け入れるべき大義も何もないと、私は結論しました。そのような方向を目指さない場合は、個人レベルでこの国を捨てるしか道はないということでもあります。日本で生きてゆくことに、希望はありますでしょうか・・・。
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by tochimembow | 2011-07-22 14:49 | 大地震
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定年退職後、リフレッシュのためニュージーランドを半年間漂流しているうちクライストチャーチ大地震に遭遇。日本に戻ったら、またしても働くことに。 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず(芭蕉)


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